その責任は誰かにある、のではない!

偏差値35からの難関大学合格という話は、ここ何年もの間、あちらこちらで目や耳にします。

ドラマや映画になった「ドラゴン桜」、「ビリギャル」が有名ですよね。

私もこういう感じを30年近く前に地で行ってたので、これらの話は他人事ではありません。

「自分もこうだったなぁ」と思い出し、共感してしまいます。

 

どちらの話でも、形はどうであれ、良い指導者がいますよね。

この良い指導者がいれば、高校生という若さと純粋さ、勤勉さがあれば、突き進むことはそう難しくはないでしょうね。

 

私は偏差値35くらいのレベルの高校でした、と前に述べました。

元々はそんなに悪い高校ではなかったのだと思います。

幼稚園から高校までの一貫教育を狙って最後に設けられたのが高校でした。

定員とか学校運営の問題からでしょうか、いつの間にか「公立高校の受け皿」となり、低偏差値化していったと思われます。

高校設立から6~7年が経過した折、高校の方向を修正するためにも、「特別進学クラス」を設けることとなりました。

そこで、中学3年生であった私をはじめ数名の仲間に声が掛かり、「特進クラス第1期」がスタートしました。

 

振り返れば、スタート時点では、実際、「教育レベルは高くなかった」と思います。

先生も元々、中学高校で共通していた顔なじみの先生たち。

中学はまあまあ優秀なレベルでの教育をしていたものの、高校は普通かそれ以下のレベル。

先生たちも「錆びついていた感じ」は否めないと思われます。

これは仕方が無いことです。

仮に、レベルの高い教育を心掛けていても、そこにそういう需要が無ければ、先生たちも知らず知らずに錆びついてしまう。

高いレベルの教育の受け手がいなければ、先生もやり甲斐が無いですから、授業の準備もそこそこで、惰性で出来てしまう。

これが悪い循環となって、高校全体の勉強に対する士気を低下させて、結果的に「公立の受け皿」となったのかも。

 

特進クラスのスタート時点では、そんな感じを何とか打破したい!という思いはあるものの、どう実践していいのかを手探りしている状態。

先生たちに自信が無いのは明らかでしたね。

当時の私はそんな感じを「まあこんなもんか」と割り切り、「まあ、適当にやるか」ってなものでした。

それで、適当に学校へ行って、適当に過ごして、後はバンドやらで楽しく過ごす。

先生たちがどう思っていたのか、なんてのは露知らずですよね。

(ただ単にクソ生意気な15歳そこそこのガキです(笑))

 

振り返れば、めちゃくちゃな私に文句も言わなかった先生は、ある意味でスゴイなと思います。

先生たちも「期待されてない」ってのと、「高校を見限っている」ってのを知っていたのでしょう。

私としても「特進クラスで東大合格」を目指していたものの、早々に諦めモードでした。

「高校辞めて、家で勉強して、大検受けようかな」って考えていましたら。

 

ただ、先生たちも自分たちの「錆びついた感」を何とかしようと必死だったと思います。

先生もかなり勉強しているのは分かりました。

私は遊び呆けていましたが、その間に先生たちはかなり苦労されたのだと思います。

自分たちでは難しいと思った教科は新しい先生を探して、連れて来てやってみる、なんてトライ&エラーをやっていました。

私が目覚めるというか、バンドを辞めて、勉強を再開する高校2年生のときには、最初とは随分違っていたと思います。

 

先生も生徒に恥ずかしくない様に努力する。

先生に聞いて、適切な答えや指導が返ってくると、生徒も面白くなってくる。

生徒も先生もレベルを少しづつ挙げていき、いつの間にかレベルの高い授業に変わっていく。

そんな感じの特進クラスでした。

3年間なんてのは、あっという間だっと思います。

(私は不登校に近い感じのときもありましたので、高校生活はほんとにあっという間。)

 

特進クラス設立から3年で、1期生たったの8人で、国公立大学と難関私立大学に合格者を複数名出せたのは、上々の結果だったと思います。

一応、全員大学生になれる状況であったと思いますが、それでも、8人のうち4人は浪人を選びました。

次の年には浪人組4人も全員大学進学です。なかなかの結果ですよね。

 

チャレンジに寛容な学校で、随分と努力をした先生たちがいて、8人の1期生がいて、みんなが暗中模索しながらの3年間(+浪人1年)。

こういう経験を高校生のときにしたのはとても大きいですね。

傍から見れば、将来を左右する高校(大学受験)の時期にとんでもないギャンブルですからね。

そのギャンブルと見られがちなものをキッチリと勝ってるんですからね。

本当に、みんな頑張ったと思います。

 

もちろん、私が東大に落ちたのは、私の努力不足でしかありません。

その責任が誰かのせいではありません。自分自身に責任があります。

高校も先生たちも、親も家族も、みんなが出来る限りのことをしてくれていたと思っています。

「特進クラスで東大合格」というのも、もう一歩で届くところまで来ていたように思いますが、私の努力不足でした。

私があの高校を卒業して、かれこれ28年になりますが、「特進クラスで東大合格」がまだ成し遂げられていないみたいです。

どこかの時点で成し遂げて欲しいですね。

 

めちゃくちゃな、ギャンブルと言われるような高校を選んだ1期生の私たち8人。

それでも、それなりの結果を出しているわけです。

偏差値35くらいの高校からの難関大学合格なわけです。

 

そんな私からすれば、普通の高校や進学校に入ってるなら、難関大学なんてのは、そんなに難しいことじゃない。

環境もそれなりに整っているし、それなりの先生たちだっているわけで、やる気さえあれば、楽に難関大学に入れるチケットを持っている。

難関大学に楽に入れるチケットを持っていながら、どこかでそのチケットを使いものにならなくしているのは、誰なんだろう。

その責任は誰かにあるのではない!

誰かの責任にして、目の前のプレッシャーから逃げているのは、ほかの誰でもないでしょう。

 

どんな状況でも、乗り越えようとする意志。

逃げようとする自分と戦い続ける意志。

毎日の少しづつの努力を続ける気持ち。

一歩前へと踏み出そうとする心。

 

自分がどうしたいのか。どうなりたいのか。

目標をどこにするのか、受かるのかどうか、そんなのはすべて自分次第。

プロセスも結果も。

 

(ここからは親向けのことですけど。。。)

高校生活、大学受験に要する期間は3~4年です。

(浪人生活を2年を超えてしても意味はありません。問題先送りの逃げ癖を植え付けてしまいかねません。)

たったの3(~4)年をどう向き合うか、どう過ごすか。

大いに遊ぶことも大事です。そして、遊んだら、同じくらい勉強をする。

普通以上の学校に行っているなら、学校の授業を有効に使い、家や登下校時に予習復習をしっかりする。

+αとなる勉強時間はいつなのか。

テレビや趣味でダラダラと惰性で過ごす時間はかなりある。

 

睡眠時間を削るような学習時間設定は長続きしません。

食事も睡眠もしっかりと確保しなければなりません。

親として出来ることは、子供の時間管理をサポートすること。

そして、子供の話を何でも、しっかりと聞いてあげられること。

行き詰っているときは、気分転換に付き合うことも大事です。

オーバーヒート気味のときは、遊びにつれていくことも。

親に出来ることは少ないのかも知れませんが、本人の状態を見て、どうするべきかは分かるように。

まあ、基本、何でも話しをすることでしょうね。

それと、親だから正しいわけではないので、押し付けないこと。

「自発的にする」ように働きかけることですね。

 

 


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このページは、Administratorが2017年11月19日 18:00に書いたブログ記事です。

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